
AIやLLMについて、人はさまざまな捉え方をしている。AIから何かを教わるものだと考える人もいれば、良い答えを引き出すためのプロンプト技術を伝授する業者もいる。しかし、私の立場はそのどちらとも少し違う。
当初、私はプロンプトを高次のプログラミングだと考えていた。入力を工夫すれば、より高度な出力を引き出せる。そういう意味では、人間が書くコードの延長線上にある行為だと思っていた。しかし今は、その認識が変わっている。プロンプトとは技術ではなく、叡智や思想と向き合うための「壁打ち」なのだと感じている。
人間は、知識そのものから学ぶわけではない。講義資料や教科書だけで思考が鍛えられることはほとんどない。人は対話から、議論から、衝突や問い返しの中から「考え方」を学ぶ。大学や寄宿舎の価値は、そこにある。AIとの関係も、本質的にはそれと変わらない。
だから私は、LLMを一つだけ使うことはしない。最高だと思う複数のLLMを同時に立ち上げ、自分自身も含めたラウンドテーブルディスカッションを行う。それぞれのモデルの視点や癖、結論への寄り方の違いを並べることで、自分の思考が相対化される。自分は議論の外にいる観測者ではなく、一議席を占める参加者だ。
この学びに終わりはない。答えを得ることが目的ではないからだ。問いが更新され、視点がずれ、思考の地図が少しずつ書き換えられていく。そのプロセス自体が学びであり、続いていく。
しかし同時に、ディスカッションは続けすぎても良くない。思考には輝きがある。ある瞬間にしか現れない鋭さや歪みがある。対話を重ねすぎると、そのノイズは平均化され、尖りは削られ、無難で調和的なハーモニックに落ち込んでしまう。最適化された結論は美しいが、創造性はそこでは生まれにくい。
どこで止めるか、その加減を見極めることも知性の一部だと思っている。AIは使い続ける対象ではなく、適切なところで手放すべき対話相手でもある。
AIは答えをもらうための存在ではない。人間の思考を揺さぶり、鍛え、そして自分自身の考えに戻るための場を与えてくれる存在だ。私はそういう距離感で、AIと向き合っている
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